- 喜多 直人
Kita Naoto
- プロフィール
- 金沢市出身の写真家。2013年から七ヶ浜町、2019年から塩竈市で暮らし、「土地と人間の同居」をテーマに作品を撮り続ける。
この土地で活動を始めた自分を、
受け入れてくれたのが「つながる湾」。
2013年、喜多直人さんは「TANeFUNe(以下タネフネ、※1)」の船長として、また同年発足の「つながる湾プロジェクト」の初期メンバーの1人として、松島湾域をフィールドとする活動を始めた。当時から現在にいたるまで、喜多さんの目に「つながる湾」の活動はどう見えていたのか。
被災地のことをもっと知りたいと思った
- 喜多さんは東日本大震災前、金沢で写真家として活動していたのですね。どうして宮城に来ることになったのでしょう。
- 僕は2007年ぐらいからアーティストの日比野克彦さんの活動をお手伝いしていて、震災直後に日比野さんが始めたプロジェクト※2でも一緒に東北地方の避難所を回りました。そのときのご縁をきっかけに宮城県内の被災各地で話を聞く活動に携わるようになったのですが、取材を重ねるうちに、宮城に住んで被災地のことをもっと知りたい、と強く思うようになりました。
- 被災地の中でも松島湾周辺エリアとの関わりが深かったのですか?
- 取材活動の中で知り合っていた高田さん※3が、2013年の春に松島で開催される「ジョルジュ・ルース展」※4のボランティア募集の案内をくれたんです。僕は「宮城で活動できる」と思い、参加することにしました。そして同じ頃、僕が震災前から関わっていたプロジェクト「種は船プロジェクト※1」の2013年の活動場所が塩竈に決まりました。だから必然的に、2013年の4月、「ジョルジュ・ルース展」のために塩竈に来ていた僕が、東京から陸路で運ばれて来たタネフネを迎える形になったんです。
- たまたま、喜多さんが関わる別々のプロジェクトが、塩竈周辺で同時期に開催されることになった。その結果として、喜多さんは今にいたるまで松島湾域で活動を続けることになるわけですね。
- 塩竈の港に停泊するタネフネ(撮影・喜多直人)
タネフネで島に通い、思いが強くなった
- 松島湾でのタネフネの最初の活動が2013年5月の「のりフェス※5」ですね。
- そうですね。タネフネは夏に浦戸で活動することが決まっていたので、そのお披露目も兼ねて、「のりフェス」会場で乗船体験などをやっていました。
- そしてその夏には、喜多さんがタネフネの船長となって浦戸で「タネフネカフェ」を実施することになります。
- はい。「のりフェス」が終わってから夏に向けて、僕はタネフネで島に通い続けました。島の人に「夏に浦戸で何かプロジェクトをします」と伝えつつ、たくさんの人と話しましたね。島の人たちと話す中で、島で暮らす覚悟のようなものを感じる機会が多くて、僕の中で島や島民への思いが強くなりました。
- 喜多さんがその後、浦戸諸島に関する作品を撮り続けている背景に、そのときの経験があるのですね※6。ところで喜多さんがタネフネで島に通っていたのと同じ頃、「つながる湾プロジェクト」が正式に立ち上がりました※7。喜多さんにとって「つながる湾」はどんな存在でしたか?
- 外から突然やってきたタネフネと僕を受け入れて、動けるようにしてくれた人たち、という感じがあります。それに、「海から見れば陸に境界線なんてない」というタネフネのコンセプトと同じ考え方で発足したプロジェクトだったので※8、僕が「つながる湾」の仲間の1人として一緒に活動するようになったのも自然なことでした。
- 2013、2014年ごろは「つながる湾」の企画として「チームwan勉強会」、「語り継ぎのためのリーディング」、「湾の記憶ツーリズム」なども開催されています。
- 僕はそのほとんどすべてに参加して、記録写真を撮っていました。
- タネフネのそばでお茶を飲みながら交流する「タネフネカフェ」(撮影・喜多直人)
「つながる湾」は「つながってる湾」
- 2015年ぐらいからは、喜多さんは「つながる湾」のすべての活動に関わっているというわけではないですね。「文化交流市場」に企画を持ち込んだり※9、浦戸を歩く活動のときに案内役を務めたりと、ピンポイントで役割を果たしている印象です。
- そうですね。七ヶ浜町の「セブンビーチプロジェクト※10」や松島町の「松島パークフェスティバル※11」に深く関わるようになるなど、「つながる湾」以外の活動が多くなっています。
- そういったいろいろな活動に関わってきた喜多さんの目に、いま、「つながる湾」の活動はどう見えていますか。
- 「つながる湾」って、本当は「つながってる湾」だと思うんです。だって、「つながろう」として活動しているわけじゃないですよね。ひとつひとつの取り組みを通して、「湾ってつながってるよね」って感じられるような活動をしているのであって。
- なるほど、たしかに。
- それから、「勉強会」みたいな地道な取り組みをひとつひとつ積み重ねていくうちに、いつの間にかそれらが交わっている、というところに、プロジェクトとしての「つながる湾」の魅力があると思っています。だから、活動を積み重ねていくほど面白くなっていくプロジェクトなのではないでしょうか。
- <脚注>
-
- ※1 アーティストの日比野克彦氏の監修・デザインにより造られた、アサガオの種の形をした船。正式な表記は「TANeFUNe」。「日本列島を『海からの視点』で見直し、水辺にある営みの多様性や豊かさを発信していくこと」を目的として各地の海を航海する。同船の活用を含む一連のプロジェクトの名称は「種は船プロジェクト」。
・種は船プロジェクトhttp://tanefune.com - ※2 日比野克彦氏の声がけで始まったプロジェクト「ハートマークビューイング」を指す。
・ハートマークビューイング http://heartmarkviewing.jp - ※3 「つながる湾プロジェクト運営委員会」のメンバーである高田彩。
- ※4 ジョルジュ・ルース氏は、廃虚となった建物や改修予定の場所で絵を描き写真に撮るという手法で表現活動をするアーティスト。2013年4月下旬、松島町にあったカフェ「ロワン」で氏による作品制作が行われた。
- ※5 「塩竈浦戸のりフェスティバル」。浦戸諸島の復興支援を目的に市民有志によって開催された。
- ※6 喜多さんは浦戸諸島をテーマに据えた写真作品制作をライフワークとし、「同居湾」(2013年)、「同居湾〜その道の先〜」(2018年)などの展覧会で展示している。
- ※7 「つながる湾プロジェクト」が正式に発足したのは2013年7月。その前段階として、同年6月から「チームwan勉強会」がスタートしていた。
- ※8 「つながる湾プロジェクト」のコンセプトのひとつである「松島湾界隈を『ひとつながりの地域』と捉えて・・・」を指す。
・つながる湾プロジェクトコンセプトhttps://tsunagaruwan.com/about - ※9 2019年2月の「文化交流市場」のトークイベントのひとつ「by the sea」を指す。七ヶ浜町で地域貢献活動や交流活動をしている「きずなFプロジェクト」の高校生が喜多さんのナビゲートで七ヶ浜の魅力を語った。
- ※10 七ヶ浜町の菖蒲田浜をフィールドに2012年にスタートした「SEVEN BEACH PROJECT」。フェスティバルやビーチクリーン活動を実施する。喜多さんはアートディレクターを務めた2014年以降、さまざまな立場でプロジェクトの運営に関わっている。
・SEVEN BEACH PROJECT https://www.sevenbeachproject.com - ※11 松島町で2015年から開催されている「松島パークフェスティバル」。喜多さんは2017年から実行委員となり、中高生が活躍できる企画のコーディネートなどに注力している。
- ※1 アーティストの日比野克彦氏の監修・デザインにより造られた、アサガオの種の形をした船。正式な表記は「TANeFUNe」。「日本列島を『海からの視点』で見直し、水辺にある営みの多様性や豊かさを発信していくこと」を目的として各地の海を航海する。同船の活用を含む一連のプロジェクトの名称は「種は船プロジェクト」。
- インタビュー日:2020年12月4日
- インタビュー・まとめ:加藤貴伸