《そらあみ》は、参加者と共に漁網を編み上げ空に掲げることで、
網の目を通して土地の風景を捉え直すアートプロジェクトです。
松島湾を囲む土地に記憶された物語を丁寧に紐解き、
ひと夏をかけてその地で暮らす人々の手を借りて共に編み上げ、空に掲げてきました。
UP DATE そらあみ
- 2016.03.15
- 五十嵐靖晃さんの《そらあみ》が「Discover Japan」に掲載されています
- 2015.10.01
- 「そらあみ」の展示風景を、10月の多賀城市広報の表紙に採用していただきました。
- 2015.08.30
- 「そらあみ -多賀城-」が河北新報に掲載されました。
- 2015.08.29
- 「そらあみ -多賀城-」の展示が終了しました。
PROCESS OF SORAAMI
ABOUT STORY & VIEW
湾に潜む“視点”
- 浦戸諸島SHIOGAMA
- 湾の上に暮らす人びとの視点
- 松島湾に点在する有人島《浦戸諸島》の4島5地区を舞台に、離島特有の時の流れと営みの中で島の人びとが見る風景を捉え直しました。
- 雄島・瑞巌寺MATSUSHIMA
- 霊場の月を愛でた人びとの視点
- かつては訪れた人がその景色に極楽浄土を想い、修行僧が集った《霊場松島》を舞台に、この地に魅了され菩提寺を建立した伊達政宗公の視点を得て、海に浮かぶ月を捉まえました。
- 多賀城政庁跡TAGAJYO
- “国境”を眺める蝦夷の人びとの視点
- 大和朝廷の東北支配の拠点として設置された《国府多賀城》を舞台に、朝廷の権威の象徴であった多賀城と南北大路を、先住者である蝦夷の視点で見つめ直しました。
そらあみを編む糸は、
その土地で見つけた色に染められる
- 浦戸諸島
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- 菜の花(きいろ)
- 雲(しろ)
- 菜の花の茎(きみどり)
- 菜の花の種(茶ピンク)
- 空/海(そらいろ)
- 雄島・瑞巌寺
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- 月の金波(きいろ)
- 月の銀波(しろ)
- 松葉(濃緑)
- 松の幹(茶褐色)
- 空/海(そらいろ)
- 多賀城政庁跡
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- 道/大路(きいろ)
- 土塁塀の漆喰(しろ)
- 建物の柱など(ベンガラ)
- 屋根の瓦(瓦色)
- 草原(きみどり)
2015 そらあみ 多賀城
今年の《そらあみ》では、「古都多賀城」を象徴する道“南北大路”を捉まえます。
現在の多賀城市は人口がおよそ6万2000人。隣接する仙台市のベッドタウンとして発展し、東北では人口密度が最も高い地域です。
今から約1300年前の奈良〜平安時代、西は”大宰府“東は”多賀城“に、大和朝廷による日本支配の拠点として国府及び鎮守府が置かれました。
多賀城は東北地方の政治・文化・軍事の中心地となり、大和朝廷の支配下に入ることを拒否した蝦夷(えみし)を制圧するため、たくさんの人が集められました。当時の人口はなんと、およそ10万人だったそうです。彼らにとって、蝦夷が支配する地域は外の世界であり、逆に蝦夷の人々からしたら、多賀城が外の世界でした。
当時、多賀城から南に伸びる南北大路は幅が12m以上もありました。その頃の物流には不必要なほど大きな道が造られたのは、この大路が、朝廷が蝦夷の人々に対して権威を表すための象徴だったためです。古くからこの地に暮らしてきた蝦夷の人々からしたら、一方的に支配してくる朝廷・多賀城の人々とその道は、どのように見えたのでしょうか?
時が流れ、背景は違えども、多賀城には今も多くの人々が暮らしています。そしていつの時代も、外から見ないと気がつかないことがあります。
完成した《そらあみ》を通してかつての南北大路を捉えることで、かつて多賀城に暮らした人々や、多賀城の外からこの世界を見つめた蝦夷の人々の視線を、今を生きる我々と重ねてみます。
ワークショップ
そらあみワークショップ@貞山掘
- 期間:2015年8月11日(月)~16日(日) ※13日(木)はお休み
- 時間:10時〜16時
- 場所:大代公民館屋外スペース ※雨天時は体育室ステージ部分
そらあみワークショップ@多賀城政庁跡
- 期間:2015年8月18日(火)〜22日(土) ※20日(木)はお休み
- 時間:10時〜16時
- 場所:多賀城政庁跡城前地区付近 ※雨天時は市川地区集会所
展示
日時:2015年8月23日(日)13時〜18時 / 8月28日(金)13時〜18時
お問い合わせ:090-9684-0231(つながる湾プロジェクト運営委員会・谷津)
- 主催:つながる湾プロジェクト運営委員会、東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
- 共催:塩竈市、多賀城市
- 協力:ビルドフルーガス、一般社団法人チガノウラカゼコミュニティ
- ※本事業はArt Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)です。
アーティスト プロフィール
- 五十嵐靖晃(いがらし・やすあき)
- 1978年千葉県生まれ。2005年東京藝術大学大学院修了。その土地の日常に入り込み、新たな視点と人のつながりを見いだすプロジェクトを各地で手がける。代表的なプロジェクトとして、樟の杜を舞台に千年続くアートプロジェクトを目指す「くすかき」(福岡県太宰府天満宮・2010〜)や、漁師らと共に空に向かって漁網を編み上げ土地の風景をつかまえる「そらあみ」(瀬戸内国際芸術祭2013・六本木アートナイト2013参加)などを行う。
- http://igayasu.com
アーカイブ
- 2015 そらあみ –多賀城–
- 2014 そらあみ –松島–
- 2013 そらあみ –浦戸諸島–
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今から約1300年前の奈良〜平安時代、西は”大宰府“東は”多賀城“に、大和朝廷による日本支配の拠点として国府及び鎮守府が置かれました。多賀城は東北地方の政治・文化・軍事の中心地となり、南に伸びる南北大路は幅が12m以上もありました。その頃の物流には不必要なほど大きな道が造られたのは、この大路が、朝廷が蝦夷(えみし)の人々に対して権威を表すための象徴だったためです。古くからこの地に暮らしてきた蝦夷の人々からしたら、一方的に支配してくる朝廷・多賀城の人々とその道は、どのように見えたのでしょうか?
時が流れ、背景は違えども、多賀城には今も多くの人々が暮らしています。そしていつの時代も、外から見ないと気がつかないことがあります。完成した《そらあみ》を通してかつての南北大路を捉えることで、かつて多賀城に暮らした人々や、多賀城の外からこの世界を見つめた蝦夷の人々の視線を、今を生きる我々と重ねました。
制作期間:2015年8月11日〜22日
展示期間:2015年8月23日/8月28日@多賀城政庁跡城前地区付近- 主催:つながる湾プロジェクト運営委員会、東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
- 共催:塩竈市、多賀城市
- 協力:ビルドフルーガス、一般社団法人チガノウラカゼコミュニティ
- ※本事業はArt Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)です。
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松島は今は観光地として知られていますが、かつては、穏やかな海に無数の島が浮かぶ「この世のものとは思えないほど美しい」風景が「この世とあの世の境界」ととらえられ、「霊場」として人々の祈りの対象となっていました。そして、あの伊達政宗公が菩提寺として建立した瑞巌寺の参道は、中秋の名月が松島湾に昇る姿を眺められる角度にわざわざ設定されています。
伊達政宗公が未来に残したかったのは、さざ波に浮かぶ満月を愛でる「霊場松島」の風景だったのではないか。
そんな想いから、松島の中でも特に霊力が強いと言われる雄島と、かつて政宗公が視線を松島湾に向けたであろう瑞巌寺の参道に《そらあみ》を掲げ、「霊場・松島」とその上に浮かぶ「月」をとらえました。
制作期間:2014年8月14日〜28日
展示期間:2014年8月30日〜9月9日@雄島および瑞巌寺参道- 主催:ビルドフルーガス+一般社団法人チガノウラカゼコミュニティ、えずこ芸術のまち創造実行委員会、東京都、東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人東京都歴史文化財団)
- 共催:塩竈市
- 運営:つながる湾プロジェクト運営委員会
- ※本事業はArt Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)として行われました。
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松島湾に浮かぶ浦戸諸島の4島5地区を約20日間巡回し、島民のみなさんや本土側から定期船でやってくるみなさんと一緒に2枚の漁網を編み上げました。
桂島での展示では定期船の桟橋近くの休憩所前に、朴島での展示では牡蠣の養殖棚の上に、《そらあみ》を掲げました。
海苔の養殖などで網に親しみの深い浦戸諸島の漁師さんや、小さい頃から定期船で島に遊びに来ていたという本土側の方たちとみんなで編んだ網が、島と湾の日常の風景の中に立ち上がりました。
制作期間:2013年8月10日〜31日
展示期間:2013年9月1日〜8日@桂島/9月9日〜15日@朴島- 主催:ビルドフルーガス+一般社団法人チガノウラカゼコミュニティ、一般社団法人torindo、えずこ芸術のまち創造実行委員会、東京都、東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人東京都歴史文化財団)
- ※本事業はArt Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)として行われました。