- 加藤 信助
Kato Shinsuke
- プロフィール
- 塩竈市出身。2012年1月からNPO法人のスタッフとして寒風沢島での米づくりに携わった。2017年に一人で「寒風沢農園」を立ち上げ、その後同島に移住して農業を続けている。
「つながる湾」の活動を通して、
島で農業を営む意味が深まった。
父親の出身地である寒風沢島で農業を営む加藤信助さんは、2013年の「つながる湾プロジェクト」発足当初から参加者やスタッフとして活動に関わってきた。信助さんは「つながる湾」の活動にどのような意義を見出してきたのか。
先祖が暮らした島での就農を決めた
- お父さんが寒風沢島のご出身だそうですが、信助さんご自身も島と深く関わりながら育ったのですか?
- そうでもないです。小さい頃にはお墓参りで島に行くこともありましたが、そのくらいで。
- どうして寒風沢島での就農に至ったのでしょうか。
- 「浦戸アイランド倶楽部※1」というNPO法人が寒風沢島で米作りをしていることを知り、2012年1月からそのスタッフとして稲作に携わり始めました。でもその時点では「農業をやりたい」という気持ちは強かったのですが、「浦戸で」ということはあまり重視していなかった気がします。
- しかし、そのNPOが2016年に寒風沢島での事業から撤退した後も、信助さんは島で一人で農業を続ける道を選びました。
- はい。2015年ごろには、自分は農家になる、という意志は固めていました。でも「島で」というのはやはり不安で、場所についてはずっと迷っていたんです。だけど先祖が暮らしてきた島で農業に関われたという縁も感じていたので、最終的には、農業をやるなら寒風沢で、と思うようになりました。
浦戸の歴史を学び、島への愛着が深まった
- NPOの事業に携わり始めて2年目の2013年から、「つながる湾」の活動にも参加者やスタッフとして関わるようになりましたね。
- はい。最初のきっかけは忘れてしまったのですが、その年、「そらあみ※2」などの活動時に声をかけてもらうようになりました。自分としては「アートで何するの?」という興味もあったし、島で農業をしているのだから浦戸での活動には協力しなきゃ、という勝手な使命感もあって、なるべく参加していました。
- 「そらあみ」に参加してみていかがでしたか?
- 網を編むという漁師さんの技術を用いてみんなでアート作品を作る、というストーリーが新鮮でした。「アートにはこんな形があるのか」と驚いたのを覚えています。それから網を編みに多くの人が島に来る様子を見ていて、島に人を集める手段としてのアートの可能性も感じましたね。
- なるほど。それから当時、「つながる湾」では勉強会も頻繁に開催していました。
- 勉強会も、可能な限り参加していました。特に2013年8月の「白菜のふるさと浦戸諸島」は印象に残っていますね。仙台白菜のルーツが浦戸にあるという歴史を知れたことで、自分が島で農業をやることの意味が深まったと思います。勉強会のほかにも、若宮丸をテーマにしたイベントに何度か参加して※3、島への愛着も深まりました。「そらあみ」や「タネフネカフェ」もそうですが、「つながる湾」がさまざまな形で引き出した浦戸の魅力に触れて、「自分はこんなにいい場所で活動しているんだ」とか「もっと島のことを知って地域に根付いていきたい」という思いが強くなりましたね。
- 島で農業を続けるという決断に至る過程で、「つながる湾」での活動が前向きに作用していたということでしょうか。
- そういう面はあると思います。
- 2013年の勉強会「白菜のふるさと浦戸諸島」(講師・高橋信壮さん)
島での新たな生業の形を考えたい
- 2017年の「寒風沢農園」設立以降、信助さんは一人で農業を続ける一方、「つながる湾」の活動にも引き続き参加しています。特に最近は「肥料づくり体験」などで農業の専門家として関わる機会が多い印象です※4。
- はい。そういう機会があるのは自分にとってもありがたいんです。じつは島の農地の土作りには時間がかかるので、ずっと一人で作業しているとちょっと気が滅入ることもあるんです。イベントで「つながる湾」のメンバーと話したり、参加者に浦戸の農業について説明したりすると、自分自身も島でやるべきことを再確認できるようなところはあります。初心に帰るというか、頑張らないと、って思いますね。
- 2020年9月、利府町の商業施設で開催された「牡蠣殻から肥料づくり」で参加者に肥料の説明をする信助さん(右端)
- 島での活動の今後の展望を教えてください。
- 何かのイベントなどで寒風沢島を案内する機会が時々あるのですが、島の人なら誰でも知っているようなことでも外部の人にとってはおもしろいんだな、と感じることも多いので、島でガイドツアー的なものをやれたらと思っています。島に来た人に自分の農作物を買ってもらいつつ、島の文化を体感してもらえるようなやり方を模索したいと思っています。
- <脚注>
-
- ※1 「浦戸諸島のすばらしい自然環境や資源を起爆材として全国にPRできる塩竈のブランド作り」(ホームページより)を目的に、2007年に発足したNPO法人。塩竈市内の酒蔵と共同で、寒風沢島で収穫した米を使った酒造りなどに取り組んだ。
- ※2 「そらあみ」はアーティストの五十嵐靖晃氏が2011年から続けているアートプロジェクト。「つながる湾プロジェクト」のプログラムとしては、2013年に浦戸諸島で、2014年に松島で、2015年に多賀城で実施した。本記事の「そらあみ」は2013年のものを指す。
・そらあみhttps://tsunagaruwan.com/soraami
・五十嵐靖晃氏ホームページhttp://igayasu.com/project/sora_ami/ - ※3 「『海よりも風よりも』語り継ぎ」「『海よりも風よりも』歌い継ぎ」などのタイトルで2013年から実施されている一連のプログラム「語り継ぎのためのリーディング」を指す。
・語り継ぎのためのリーディングhttps://tsunagaruwan.com/kataritsugi-reading - ※4 信助さんは2020年2月の「文化交流市場」などで「牡蠣殻から肥料づくり」の指南役を務めた。
・文化交流市場https://tsunagaruwan.com/cultural-exchange
- インタビュー日:2020年11月27日
- インタビュー・まとめ:加藤貴伸