- 大宮司 綾
Daiguji Aya
- プロフィール
- 松島町出身、在住。松島町職員として観光、会計、上下水道、広報などに携わり、2020年現在は教育委員会に所属。2014年の「そらあみ〜松島〜」では現地の調整役として尽力。
松島湾に育まれてきた文化を、
学び、次世代に伝えていきたい。
松島町の漁師の家に生まれ、松島湾域の生業、文化を間近に感じながら育った大宮司綾さんは現在、松島町の教育行政に携わる。大宮司さんは地域をどのような視点で捉え、次世代にどんなことを伝えようとしているのか。
暮らしのそばにいつも海があった
- 大宮司さんは松島町で生まれ育ち、現在も町内在住ですね。子供の頃から、海との関わりは深かったのですか?
- 漁師だった父が牡蠣や海苔の養殖をやっていたので※1、海での作業のときにはよく船に乗せられていました。船の上で子守りしてもらっていたんだと思います。それから生海苔を運ぶリヤカーに一緒に乗せられていた記憶もありますね。もちろん作業を手伝うこともありました。漁業以外の場面でも、現在の遊覧船乗り場のところで飼い犬を泳がせたり、七ヶ浜の親戚の家との行き来が船だったり・・・。暮らしが海と直結していましたね。
- 松島※2という土地との関わりも深かったのでしょうか。
- はい。松島に多い名字である大宮司家は、瑞巌寺※3とゆかりの深い一族なんです。私は小さい頃から、お寺の行事のお手伝いが代々我が家の務めなのだと父に聞かされていました。
- 土地の文化や生業を間近に感じながら育ってきたのですね。そのことが、地域への愛着とか誇りになったのでしょうか。
- そうだと思います。あとは、遠くからでも見に来たいと思えるような景色の中に住んでいるんだな、と感じる機会が多かったので、そこに暮らしている自分は何をすべきなのか、みたいなことは考えていたような気がします。いま町の職員として働いているのも、そういう思いがベースになっているのだと思います。
「地域を捉え直す」という意識があった
- 大宮司さんが2014年の「そらあみ〜松島〜※4」に関わった頃は、町の観光課にいたんですよね。
- そうです。担当者として、高田さん※5から「松島で掲げたい」と相談を受けました。
- その時点で「つながる湾」のことはご存じだったんですか?
- はい。2013年にビルドスペース※6であった勉強会にも参加していました。そこに集まっている人たちが「つながる湾プロジェクト」として動き出していると知って、自分も関わりたいと思っていたので、2014年にお声がけいただいたときは嬉しかったです。2013年の「そらあみ〜浦戸諸島〜」の写真も見ていたので、「松島でやるならぜひお手伝いしたい」とお返事しました。
- 当時の思いについてもう少し教えてください。
- そのころ私は松島の仲間たちと「海の盆」※7というお祭りの準備をしていました。町の人が松島の景色を眺めて地域を捉え直し「いいところに住んでるね」と思えるきっかけになるような、そういうお祭りにしたいという思いが強かったですね。「そらあみ」も、地元で素敵なことができるよ、ということを地域の人に知ってもらえるチャンスだと思いました。
- 大宮司さんは瑞巌寺や雄島での「そらあみ」展示を実現させるために現地の調整などに奔走してくださったそうですが、実際に「編む」作業もされたのですか?
- 編みました。漁師だった父が網の修理をする姿を見ていたので漁網を編むという作業は私にとってなじみ深いものでしたが、松島の色の網って完成したらどうなるんだろう、と楽しみだったし、その作り手の一人になれるのも嬉しかった。通りすがりの近所の人なども巻き込んでみんなで作るというのもすごく面白かったです。
- 「そらあみ」を編む大宮司さん(写真提供:大宮司綾さん)
- 近所の人からすると、そこに顔見知りの大宮司さんがいることで、参加しやすかったのかもしれないですね。
- それはあるかもしれません。「海の盆」も「そらあみ」も、まずは私が楽しんで、その楽しさをみんなにも知ってほしい、と思って関わっていました。
- 「そらあみ」を掲げたときのことは覚えていますか?
- 雄島に掲げたとき、網の青い部分と松島の風景の青が重なって網が消えたようになったところに島が浮き上がって見えた。すごく不思議な感覚でした。網が風景に溶け込んだというか。その網を夜に瑞巌寺の参道で掲げて※8、網越しに満月を見た時も感動しましたね。「そらあみ」は、地元の人もそうじゃない人もみんな一緒に網を編んで同じ風景を見て、というのがすごく楽しかったです。
- 雄島に掲げられた「そらあみ」
地域の文化を伝えていく
- 「そらあみ〜松島〜」以降は「つながる湾」の取り組みをどのようにご覧になっていますか。
- 翌年の「そらあみ〜多賀城〜」も見に行きましたし、2018年度、2019年度の「文化交流市場」も参加しました。「つながる湾」が活動を通じて培ってきた、行政の境界線を越えたさまざまなつながりは大きな財産ですよね。私も、同じ海の恵みを享受して文化を育ててきた地域として松島湾エリアを捉える視点を大事にしたいと思っていて、「つながる湾」のプログラムに参加するたびにその思いはどんどん強くなってきました。
- ちなみに大宮司さんがいま教育委員会のお仕事を通じて子供たちに伝えようとしているのはどんなことでしょう。
- 松島町のまちづくりの基本理念が「歴史・文化の継承と創造」なんです。だから私たちは、子供たちが地域の文化を肌で感じられる機会を増やせるようにしています。学芸員と一緒に小学校で土器作り体験を実施したり、子供たちが必ず一度は瑞巌寺を見に行けるような体制を整えたり。あとは、学校の先生方が地域に愛着を持っていなければ子供たちにも伝わらないので、先生方に松島のガイドブック一式をわたして、「1回は散策してみて!」って訴えたりね。松島で育った子供たちが将来、「自分は松島のここが好き」って言える大人になってくれることが今の私の夢ですね。
- 子どもたちの土器作り活動(写真提供・松島町教育委員会)
- 方向性としては「つながる湾」と似ている気がします。今後も何か一緒にできることがあるかもしれないですね。
- そうですね。以前私は観光の視点で「つながる湾」との連携を考えていましたが、地域の歴史・文化を学び将来世代に引き継いでいく、という方向性で考えると、いま携わっている教育の分野のほうが、「つながる湾」と一緒にできることが多いような気がします。
- <脚注>
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- ※1 大宮司綾さんのお父さんは綾さんが小学校高学年の頃まで漁業を営んでいた。
- ※2 本記事における「松島」は、松島湾を囲むエリア一帯を指す場合や、観光地「松島」の中心部を指す場合など文脈によってその範囲が異なる。自治体名やその行政区域を指す場合のみ「松島町」としている。
- ※3 JR松島海岸駅近くに立つ青龍山瑞巌円福禅寺(臨済宗妙心寺派)。828年に慈覚大師円仁によって開設された天台宗の「青龍山円福寺」が前身とされ、鎌倉時代に臨済宗の「円福寺」となり、江戸初期に伊達政宗によって改修され現在の寺名となった。
- ※4 「そらあみ」はアーティストの五十嵐靖晃氏が2011年から続けているアートプロジェクト。「つながる湾プロジェクト」のプログラムとしては、2013年に浦戸諸島で、2014年に松島で、2015年に多賀城で実施した。本記事中の「そらあみ」は2014年のものを指す(制作期間: 8月14〜28日、展示期間:8月30日〜9月9日)。
・そらあみhttps://tsunagaruwan.com/soraami
・五十嵐靖晃氏ホームページhttp://igayasu.com/project/sora_ami/ - ※5 「つながる湾プロジェクト運営委員会」のメンバーである高田彩。
- ※6 高田彩が2006年に塩竈市港町に開設したアートギャラリー。
・ビルドスペースホームページhttp://birdoflugas.com - ※7 松島町民有志が中心となり2011年から毎年夏に開催する行事。2020年は新型コロナウイルスの影響で中止。
・「松島流灯会 海の盆」ホームページhttps://uminobon.jp - ※8 瑞巌寺の参道は中秋の名月が正面に見える角度に設計されたと言われている。
- インタビュー日:2020年10月16日
- インタビュー・まとめ:加藤貴伸