大沼 ひかり

松島湾エリア在住
大沼 ひかり
Onuma Hikari
プロフィール
福島市出身。新潟の大学を卒業後、宮城県内の企業に勤務。現在は塩竈市在住。2014年「そらあみ〜松島〜」では運営スタッフとして活躍。

網を編みながら悩んだ夏が
「次の一歩」につながった。

地域の文化とその背景に興味を持ち続ける大沼ひかりさんは、「つながる湾プロジェクト」初期の活動に積極的に参加し、2014年の「そらあみ〜松島〜※1」では主要スタッフの一人として運営にあたった。この経験はひかりさんの考え方にどのような影響を及ぼしたのか。

地域ごとの文化の違いに興味があった

加藤
ひかりさんが「つながる湾プロジェクト」の活動に一番深く関わったのは2014年の「そらあみ」のときだったと聞いています。そこまでの経緯を少しさかのぼってお聞きしたいのですが、ひかりさんが松島湾エリアに関心を持ったきっかけはどんなことだったのでしょう。
大沼ひかり
私は福島出身で、新潟の大学を出て仙台の会社に就職しました。仙台市内の多賀城寄りの地域に住んでいたので、多賀城、塩竈あたりは私にとって身近なエリアでした。2011年には七ヶ浜に引っ越して、さらに塩竈を近く感じるようになりました。そのころから、ビルドスペース※2での展覧会を見に行って高田彩さんと話したり、フォトフェス※3の運営に携わったりするようになって、塩竈への関心がどんどん強くなった感じです。
加藤
最初は松島湾というより塩竈。
大沼ひかり
そうですね。特にフォトフェスの事業で、震災前の塩竈の写真を展示する企画を担当したのはいい経験でした。昭和期の塩竈の写真をたくさん見て、この町の人々がどう暮らしてきたのかを感じることができました。もともと、福島、新潟、宮城での生活を通じて、地形や歴史を背景に生まれる文化の違いに関心を持つようになっていたんです。
加藤
そのあたりの関心から、「つながる湾プロジェクト」の活動にも参加するようになったのでしょうか。
大沼ひかり
はい。「つながる湾」の「地域の文化を再発見する」みたいな考え方に共感して、2013年ごろは「勉強会」にもなるべく参加していました。
2013年の勉強会
2013年の勉強会「白菜のふるさと浦戸諸島」(講師・高橋信壮さん)

網を編みながら自問自答した日々

加藤
その流れの中で2014年の「そらあみ」にも参加した。
大沼ひかり
そうですね。結果的には、「つながる湾」の活動の中でも「そらあみ」は私にとって特別な経験になりました。
加藤
詳しく教えてください。
大沼ひかり
私は2014年の6月に当時の仕事を辞めたのですが、次に何をするかは決まっていませんでした。そんなとき、夏に「そらあみ」のプロジェクトがあることを知って、お手伝いすることにしました。正直、その時点では「そらあみ」自体への関心が強かったわけではありません。「つながる湾」の活動に深く関わることで、地域のことをもっと学びたい、と思っていました。
加藤
あえて言えば、「網を編みたくて」始めたわけではない。でも結果的に、ひかりさんにとって「そらあみ」が特別なものになった。・・・ひかりさんは「そらあみ」にどんな形で関わっていたのですか?
大沼ひかり
網を編む作業が始まる前から、展示に向けた準備を五十嵐靖晃さんたちと一緒にやっていました。松島の歴史や地形について学び、それを踏まえて設置場所を検討したり、瑞巌寺への設置が決まった後は付近の住民にチラシを配ったり。制作が始まってからは網を編む作業がメインで、参加者に編み方を説明したり一緒に編みながら土地の文化の話を聞いたりしました。
加藤
展示が成功した時は達成感があったでしょうね。
大沼ひかり
準備が大変だったので、たしかに達成感はありました。ただ、今思うと、プロジェクトを進めている間はずっと自分のことばかり考えていたような気がします。何もしたくなくなって会社を辞めて、すごくネガティブになりがちな時期だったので。網を編みながら、悶々と考え込んで沈んでしまったりしていました。
加藤
無心に編むことでスッキリする、という感じでは・・・
大沼ひかり
なかったです。編みながら、「なんで私はこれをやっているんだろう」って思ってしまったり(笑)。
加藤
そういう、当時のモヤっとした心情が感覚として残っている?
大沼ひかり
残ってますね。何も考えたくない時期だったのに、編んでると、考えちゃう。「私は何かをしていなければいけないのか?」とか。五十嵐さんに「これからどうしたいの」って聞かれて答えられなくて、また考え始めて落ち込んじゃったり。
加藤
それでもひかりさんが「そらあみ」の経験を大切に思っているということは、何か得たものがあったということですか?
大沼ひかり
考え方が変わりましたね。それまで「自分は何をしたいのか」が決まっていないことをプレッシャーに感じてしまっていたのが、「自分が何かに興味を持っていられるならそれでいい」と思えるようになりました。
加藤
ネガティブなままで終わったんじゃなくて、気持ちの変化があった。
大沼ひかり
はい。その夏まるごとが、私にとっては長い合宿みたいな感じで、一歩踏み出す手前の時間だったんだと思います。
そらあみ
2014年、松島の雄島に掲げられた「そらあみ」

「そらあみ」で自分が変わった

加藤
その後、別の仕事に就いたんですよね。
大沼ひかり
はい。「そらあみ」の準備期間中に、接客の仕事を紹介していただいたので。それまで私は、性格的に、接客業は向いていないと思っていました。参加者に編み方を説明して一緒に作業する、という経験を繰り返す中でも、やっぱり自分はそういうことが苦手だ、と再認識していました。でもそのとき、接客の仕事をすればその苦手意識が克服できるんじゃないかと思ったんです。「そらあみ」をやっていなかったら、接客業は断っていたと思います。
加藤
なるほど。苦手だから断るんじゃなくて、克服するためにやろうと思うようになったのですね。その後、就職したことによって、「つながる湾」の活動への参加は減ったのでしょうか。
大沼ひかり
そうですね、土日が休みじゃなくなったので。でも2014年末の「海辺の記憶をたどる旅展」では、「そらあみ」のときに自分が撮った写真で写真集を作って展示しました。その後も「つながる湾」の活動に興味はあって、活動はチェックしています。
加藤
「つながる湾」の活動を通じて、ほかに変化はありましたか?
大沼ひかり
「そらあみ」の準備段階で松島の歴史、文化についてたくさん知れたし、現地に通い続けたので、自分の「地元」のエリアが広がった気がします。以前は塩竈という地域に意識が向いていたのですが、松島湾全体をエリアとして捉えるようになりました。
加藤
その点でもやはり2014年の「そらあみ」は、ひかりさんのその後に強く影響しているのですね。
<脚注>
  • ※1 「そらあみ」はアーティストの五十嵐靖晃氏が2011年から続けているアートプロジェクト。「つながる湾プロジェクト」のプログラムとしては、2013年に浦戸諸島で、2014年に松島で、2015年に多賀城で実施した。本記事中の「そらあみ」は2014年のものを指す(制作期間: 8月14〜28日、展示期間:8月30日〜9月9日)。
    ・そらあみ https://tsunagaruwan.com/soraami
    ・五十嵐靖晃氏ホームページ http://igayasu.com/project/sora_ami/
  • ※2 「つながる湾プロジェクト運営委員会」のメンバーである高田彩が2006年に塩竈市港町に開設したアートギャラリー。
    ・ビルドスペースホームページ http://birdoflugas.com
  • ※3 写真家の平間至氏(塩竈市出身)が主催する写真イベント「塩竈フォトフェスティバル」。2008年に第1回が開催され、2018年までで6回開催された。2020年3月に第7回の開催が予定されていたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期となっている(2020年12月末現在、開催日未定)。
    ・塩竈フォトフェスティバルホームページ http://sgma.jp/2020/index.php

区切り

インタビュー日:2020年8月26日
インタビュー・まとめ:加藤貴伸

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