白菜のふるさと浦戸諸島

白菜のふるさと浦戸諸島

勉強会開催日:2013年8月8日

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現在では日本人に身近な食材の白菜ですが、浦戸諸島で種が採種されたことが日本での白菜の普及に大きく貢献したことはあまり知られていません。浦戸諸島の白菜づくりの歴史や、講師の高橋さんの現在の取り組み・白菜を用いた食交流などについてお話をうかがいました。

白菜は、明治時代に中国から種が持ち込まれたものの交配がうまくいかず、国内で種を採るまでには多くの苦労があったそうです。白菜はアブラナ科アブラナ属で菜の花を咲かせる植物ですが、他のアブラナ科の植物と交配しやすく、当時は純粋な白菜の種を採ることが困難だったのです。

種採りに成功したのは大正時代。伊達家養種園の技師・沼倉吉兵衛氏が様々な実験を行い、人工的に隔離した部屋で純度の高い種が採れたことをヒントに、離島での栽培を考え出しました。そして選んだのが松島湾の浦戸諸島。無人島だった馬放島(まはなしじま)で白菜の種のみを植えたところ、純度の高い種が実ったのです。

こうして松島湾の島で採種された種には「松島白菜」の名がつけられました。大正11年には渡辺穎二氏によって渡辺採種場が設立され、島民の方々の協力を得て多くの種が採れるようになり、全国へ出荷されました。この種を使って宮城県内で育てられた白菜は「仙台白菜」と名付けられ、昭和初期まで日本一の出荷量を誇っていたそうです。

現在でも浦戸諸島では、朴島と野々島で白菜の種取りが行われています。2011年の東日本大震災後、高橋信壮さんたちは、仙台市内や島の小中学生、ボランティアらとともに白菜の種植えを行い、採種文化の保存活動を行っています。また、宮沢賢治の作品に登場する「白菜畑」をテーマに、岩手との地域交流や食文化を伝える活動をしています。

白菜のふるさと浦戸諸島

まとめ:相原綾乃 / イラスト:本田千華

  • 浦戸の菜の花
  • 浦戸の白菜
  • 浦戸の白菜のタネ
講師紹介
高橋信壮(リエゾンキッチン・食の学人の会)
高橋信壮
私立明成高等学校調理科教諭。2006年から多様な地域連携のもと、「食の学び」の活動「リエゾンキッチン」を進めている。東日本大震災後からは、塩釜市浦戸諸島の野々島で「白菜 の採種文化の保存活動」を行っている。また「松島白菜」のもととなった「芝罘白菜」をモチーフに描いた宮沢賢治の作品『白菜畑』との出会いから、宮城と岩手の地域を結んだ食文化交流活動を展開している。