K.S

ks
K.S
デザイナー

インタビュアー:加藤

加藤
慶介さんは途中で「つながる湾」運営委員を抜けていますが、抜けたことについても聞きたいけど、それ以上に、始めてみてどうだったかということが貴重かなと。どんな団体でも、なんとなくうまくいかなくなったり、人の出入りがあったりは絶対あるし、慶介さんは抜けた後にも図鑑は続けているし。
基礎情報として、生まれは塩釜。
ks
舟入。そこはもう何もなくて、住宅地になってる。景色変わってますね。アベイル? あそこの上のところです。下に工場みたいなところあって・・・。今のファミリーマートの裏の方
加藤
生年月日が
ks
1982年の9月3日
加藤
舟入生まれ育ち
ks
舟入は3歳? 幼稚園に入るギリギリまでいて、幼稚園入るタイミングで多賀城。
加藤
今の実家?
ks
そう。
加藤
そんなに早かったのか。じゃあほぼ多賀城育ち。
ks
そうですね。舟入の記憶はほとんどない。断片的にあるけど。
加藤
舟入の家は、慶介さんが出てすぐなくなった?
ks
古い日本家屋だったんですよ。で、聞いた話だと、解体して売って、どこかで組み立て直してどこかにあるらしいけどどこかわからない。
加藤
それ、あったら面白いですね。
ks
おもしろい。けどどこか全然わからない。親は知ってるかもしれない・・・。て言う話をきいたけど、ホントかどうかもわからない。
加藤
その家はお父さんが生まれ育った?
ks
父の生まれは多分千葉、銚子。
加藤
じゃあお父さんのご両親が、生まれたお父さんと塩釜に住んだ?
ks
そうですね。父は舟入が長いと思う。
加藤
多賀城に引っ越した時は?
ks
じいちゃんはもう死んでて、ばあちゃんは一緒に多賀城に。ばあちゃんは僕が高校の時かな、亡くなった。
加藤
なんで昔のことを聞いてるかと言うと、海との関わり。貞山堀でもいいけど。
ks
僕の育ちは多賀城だけど両親とも塩釜で育ってるから
加藤
お母さんもか。
ks
玉川。ケトルのすぐそば。鈴木酒屋って、もうやってなくてシャッター店になってるけど、そこで荒物屋、雑貨屋。お酒メインだけど日用雑貨も。いわゆる、昭和の商店。その辺のおっちゃんがワンカップの立ち呑みにくるような。
加藤
あれ、そこが、お母さんのお姉ちゃんが住んでるという?
ks
そう、その話。
加藤
だとすると慶介さんは、割と塩釜寄りの…
ks
うん、幼稚園もそっちだし、スーパーも、生活圏がそっちだったから、皆川歯医者とか行ってたし。
加藤
普通の多賀城市民よりは、塩釜よりの要素が
ks
たぶん、小さい頃は多かった。
加藤
海というと? 浦戸とか。
ks
海か、うーん。浦戸は高校生の時。高校の遠足みたいな? 課外活動?
加藤
ああ、個人的ではなく。
ks
うん、個人的に行ったのは大学生ぐらいかな。遊びに行くぐらいの。
加藤
塩釜に島があって面白いなって思ったのが、大学生ぐらい。
ks
そんな感じですね。ちっちゃい頃の記憶だと、松島水族館に船で行った。
加藤
観光桟橋から。
ks
そう。それが記憶に残ってる一番古い。
加藤
海水浴は。
ks
七ヶ浜、多分菖蒲田。でもそんなに行ってない。幼稚園、小学校低学年ぐらい。
加藤
釣りは?
ks
海ではしてないですね。歴博がない頃、あの辺に用水路みたいなのがけっこうあって、そこで友達と釣りしてました。
加藤
フナとか
ks
ちっちゃいやつ。カタチ的には、オイカワみたいなやつ? 何の種類か全然覚えてない。
加藤
じゃあ、海との繋がりはそんなに、子供の頃は。
ks
そうですね。あとは手樽に親戚がいてよく行ってました。親戚のおばちゃんがカキむきやってたので、そのカキむき場によく行ってました、小さい時。
加藤
作業場で見てた?
ks
見てたけど、小さい時はカキ嫌いだったから笑 臭いなあみたいな。あとあそこに海岸公園あったじゃないですか。海音(レストラン)に行く方。あそこに家族でバーベキューしに行くことはありました。小さいカニ釣ったり。
加藤
大学の時行き始めたきっかけは?
ks
特にない…。大学の友達と。
加藤
塩釜の人ではない
ks
山形の人とかだから、船に乗ったことないって。じゃあ一緒に行くかと。
加藤
こっちを案内したみたいな。
ks
そうですね。
加藤
大学でデザインとかやってて、24で修了?
ks
24ですね。そのあと専門学校でデザインの授業を教えてて、2年くらい常勤でいて、1年間非常勤。そのあと今の職場。
加藤
24から3年、27で現職。
ks
そうですね
加藤
大学院修了時点で彩さんを訪ねた? 展覧会したいと。それまで面識なかった?
ks
なかったですね。ちょうど彩も、東京から帰ってきて半年ぐらいのタイミングじゃなかったかな。
加藤
ビルドオープンの翌年って言ってたかな。
ks
多分そう。だからオープンの半年後くらいとかじゃないかな
加藤
それは、目的は、作品をどこかで展示したいというのが大きかった?
ks
こっちで、ということ。塩釜で。で、いろいろさがしてて、友達から、「新しいギャラリーできたみたいだよ」って教えてもらって、それで、じゃあ行ってみようか。と行って、展示した。
加藤
塩釜、またはこの地域、に、郷愁、愛着… もともと愛着あった? 大学行く前とか
ks
ああ、多分離れてからのほうが大きい。ただ、最近はどんどん薄くなってる笑
加藤
それはそれで面白い
ks
多分20代半ばぐらいがピーク。いい意味で、(それぞれの地域がそれぞれ面白いところがあるという意味で)どこも同じだな、という感覚にはなってきてる。
加藤
若者の、「自分の町だ」っていう熱さみたいな
ks
うん、それはあると思う。
加藤
大学で外に出て、20歳ぐらいの時に、「俺の町、いいんじゃない」みたいな
ks
うん。特徴はあるな、とは思い始めた
加藤
それはなんで? 学校で勉強して、塩釜のこととか引き合いに出してた?
ks
うーん、なんだろう。しおがまなのかな。しおがまか、たがじょうか…。
加藤
ああ、塩釜育ちってわけでもないのか。
ks
うん。山形もけっこう文化が特徴的じゃないですか。それに対して、自分の町はどうか、ということで、山と海でわかりやすく文化が分かれてるから、今まで自分が普通だと思ってたところが、面白いんだな、って思い始めた。
山も海も関係ないけど…、米沢の友達の実家に遊びに行ったときに、街のつくりの違いを感じてすごく面白かった。塩釜は道は起伏があったり、ゴチャゴチャしてて道の遠くのほうが見えないけど、米沢は「ずーっと遠くまでみえる!」って思った。
それと、就職でこちらを選んだのが大きいと思う。自分の場合は。
加藤
専門に勤めたのは、普通に院を出る時に就職活動して?
ks
就職活動は、僕、当時は家電メーカーに行きたかった。家電メーカーのテストって特殊で、各大学から成績順で、インターンシップに行ける人が1〜2名選ばれる。デザイン系の大学で。その人たちの中から、課題審査をして、全国で10〜15人選ばれる。これって、家電メーカーと車のメーカーも同じような仕組みなんです。で、選ばれた人が1週間くらい、月〜金で缶詰にされる。ホテルに。で、そのホテルと、デザイン部署があるオフィスを毎日往復して、1週間の中で課題をこなして、実質3日で課題に対して答えを出して最終日にプレゼンテーションする。これが、インターンシップという名の採用試験。
加藤
M1のとき?
ks
行き始めたのは大学3年からM1の時
加藤
毎年?
ks
めぼしいところだいたい行って、最終で全部落ちて、ダメだなって
加藤
全部1週間ずつ行ってるってこと?
ks
そう。最初は日立。日立は長くて2週間ぐらい。その時は採用試験とは聞かされてなくて、3年生でのほほんと行って、そのあとに書類が来て、最終選考に選ばれたのでレポート書いてくださいみたいな。それが何人選ばれたのかはわからないけど、レポート書いて出して、「不合格となりました」って。「ああそうですか、試験だったんだ」って。
加藤
じゃあ就職希望したわけじゃなかった
ks
まあ興味はあったけど。一方的に試験されたみたいな
加藤
告ってもいないのに振られた
ks
そう、可愛いけど好きでもない人に「私にラブレター書いてみて」って言われて書いたら振られた笑 こういう世界なんだ、ってそれでわかって。若い頃だから大手に行きたかったから、家電とかインハウスの花形の一つだったし、デザイナーとしては行きたかった。
加藤
デザイナー枠での採用なんだ。
ks
そう、年に一人ぐらい。それを争って、全国のデザイン系大学のやつらが集まってくる。そのあとソニー、シャープ、最後M1の時は東芝。何社か行ってるから、M1の時はけっこう心に余裕が生まれて、夜ホテルでこっそり作った試作モデルをプレゼンで提案したり、これ受かったな、と思ってた。内心。そしたら落ちて、「多分自分の考えとこの世界合わないんだなと」
加藤
求められてるものと違う
ks
そうそう。悔しいとかじゃなくて。腑に落ちたかんじ。で、そのころになると、だいたい行くメンバーが固定される。全国から。
加藤
またきたな、お前って
ks
そうそう、顔を合わせる。お前も院生になったのかと笑 で、だいたい、成績とか、ポートフォリオ審査で、家電向きみたいな人がだいたい固定されてくるから、だいたいメンバーが揃ってくる。で、この前のは誰が受かったのか、とか聞くと、だいたいこういう人が受かる、というのが見えてきて。そのとき思ったのは、手が動く人、というのは、思考プロセスとかじゃなくて、テクニカルな部分で、とりあえず絵が描ける人、が採用されていると思った。デザインのマーカースケッチって特殊なんですけど僕はそれが下手で、これは受からないなと。で、自分の望んでる世界じゃないなと思って、のほほんと1年間、M2は過ごした。ロンドンのデザイン展に同級生と出展したり、就活じゃないほうに興味が移った。
加藤
じゃあM2を終わる時点で、
ks
決まってない。特に就活してないから。決まってたところも行きたくなくて
加藤
ちょっとは就活したんだ。
ks
ちょっとしたけど、行きたくなくて。で、たまたま自分の後輩、歳は同じなんですが、そいつが専門学校の講師をやめるから、代わりにやって、って言われて。
加藤
修了して、4月から?
ks
そう。で、僕も2年教えて、専門学校も経営厳しいから、やめるかなと。
加藤
デザインの授業?
ks
プロダクトデザインの授業。と言っても、専門学校なので、パソコンのスキルと、簡単な商品開発の基礎知識とか。基礎の基礎。で、そのときけっこう時間があったから、あやと一緒にいろいろやる時間が。ワークショップとか、あやが受けてきた広告、チラシの仕事やったりとか、やってた。
加藤
チラシのデザインもやってた?
ks
うん、と言っても、マス市場のじゃなくて、シオーモとか地域の仕事
加藤
シオーモって紙モノあったんですか。
ks
あった。そういう、塩釜関係の、文化振興的なやつのチラシをやる機会が増えてきて、調べるようになって、興味が強くなったっていうのはあるかもしれないですね。
加藤
なるほど、大学院出て、あやさんとこに行ったのは3月
ks
多分。
加藤
大学関係のことはあらかた終わって、戻ってきて、4月から専門学校、っていうのもだいたい決まっていて、
ks
うん。
加藤
で、ビルドで何を展示?
ks
椅子と、本。発想を刺激しましょうみたいな本。
加藤
大学院の研究のなかで作ったやつ
ks
そうですね。
加藤
大学院生も卒制展みたいなのある?
ks
あります、学部と別に。時期は同じだけど会場が別。
加藤
きた人は、院も見て、学部も見れる。全部見るのは大変って聞いたことあるけど
ks
全部見るのは大変だと思う。
加藤
はい。専門学校3年で、転職したのが27歳。プロダクトデザインの仕事についた。で、震災おこって、直後は仕事もバタバタバしていたけど、ゴールデンウィーク開けくらいから逆に落ち着いてきて、そのあと、避難所回りを始めた。あやと一緒に。
加藤
避難所って体育館とか?何しに?
ks
文房具を配ったり。
加藤
集めたのは?
ks
あや経由で、こういうのやろうよって。当時は生活基盤(食料品の供給などの面で)は安定してきたし、子供たちが暇そうだったから、遊ぶ系のグッヅを集めて配ろうと始めて、あや経由で東京のアート関係の人に呼びかけて、集めてもらって、ビルドに集めて仕分けして配る。あとは、映画上映をやってた。映像配給会社の人からアニメーションを借りて、プロジェクターとスクリーンを持って、避難所の子供が多いところに行って上映する。そういうのをしばらくやってた。
加藤
体育館とか
ks
そう。どこ行ったか覚えてないけど、七ケ浜とか、ガス体育館も行ったかな。
加藤
多分その年の、どのあたりからか、文プロが入ってくる。
ks
そう・・・ですね。
加藤
伊保石に行くようになってから? 伊保石できたのいつだろう。伊保石に通ってた? 避難所がだんだん閉まって。
ks
うーん、そのとき、群馬の方から、友達、中島ゆうたが支援に来て、それの受け入れ先として伊保石だったんじゃないかな。彼が伊保石に通い始めるように。。。そこはあやじゃないとわかんない。どういうきっかけで伊保石になったか。僕は割り振りは全然ノータッチだった。
加藤
ああ、はいはい。じゃああやさんと一緒に伊保石には行ってた。
ks
あやはけっこう平日も行ってたけど、僕は休みの日ぐらい。
加藤
中島さんと一緒にラジオとか?
ks
ああ、そうですね。ラジオとか、歌を作ったりCD作ったり。
加藤
いずれにしても、伊保石の住宅に住んでる子供たちと一緒に遊んだり、
ks
あとはおじいちゃんおばあちゃん。
加藤
ああそうか。そこのコミュニティを楽しく、みたいな。
ks
お茶っこ会かな、そこに入ってた、たしか。
加藤
お茶っこ会は何らかの形で先にあった。
ks
わからないけど
加藤
そうですか。それで、どのあたりで、りせいさんとかやつさんとか、支援してくれてる人がいると認識したのはどのへん?
ks
谷津さんとあったのは結構遅かった気がする。あのメンバーで最初にあったのは、喜多直人。伊保石で。カメラマンがきてるよ、と。それで会って、話し始めて。
加藤
でも喜多さん、2011年はいないっすよね。
ks
いつかな、寒い時期だったな。やつさんに会ったより早かった気がする。
加藤
(資料見ると)2012年の頭に、伊保石で支援活動・・・。じゃあ2011年は避難所中心かな
ks
体育館とか行ってましたね。じゃあ、けっこう遅かったのかな。
加藤
2012年の12月あたりに会ってる?
ks
うーん。
加藤
この日って、ビルドに津川さんが呼ばれて湾の駅の構想のプレゼンとかやったらしいんですが、その場にはいた?
ks
覚えてない。来てるっていうのは聞いてました。
加藤
タネフネの人たちが?
ks
うん、知ってたけど、会ってなかった。
加藤
じゃあ、あやさんとかと比べると、文プロ側との接触は
ks
なかった。
加藤
あやさんが窓口だったのかな。2011年の段階から、何らかの金銭的な?支援はうけてて、
ks
はい
加藤
その窓口に彩さんがなってて、支援受け始めてからしばらく経って、伊保石で、谷津さんとりせいさんに会った、って言ってました。けいすけさんは活動には参加してたけど、その原資がそこから出てるとは話としては聞いてるけど、ぐらい
ks
聞いてるけど、記憶にないな
加藤
おっけーです。で、タネフネは、2013年5月のノリフェス
ks
それは行って見てます。
加藤
乗った?
ks
乗ってる。
加藤
じゃあ、その前に、文プロ、ASTT関係で、慶介さんが関わっていることは何? いろんな人の話を総合すると、2013年の3月に、ロワンでジョルジュルース展。
ks
ああそれは行ってました。喜多さんもそこにいた。
加藤
でもそれはASTT関係ない。大沼さんも、そのあたりで喜多さんに会ったんじゃないかなといってたけど、
ks
ジョルジュルースの時は、喜多さんは知ってる人だった。伊保石で会ってるの覚えてるので。谷津さんに初めて会ったのはビルドだと思う。何の時かは覚えてない。
加藤
2013年5月に、タネフネを一緒にやって、そのあといろいろ動きだす。その動きの中には、慶介さんはどっぷり入っていた?
ks
入ってましたね。ノリフェスのチラシを土見くんが作ってる。そのときの、タネフネの何かのチラシを僕が作った。
加藤
5月のタネフネの前に?
ks
後のやつかなあ。思い出せないです。ノリフェス以降は確実に入っています。
加藤
その年、2013年、いろいろ動いていて、その夏には、つながる湾プロジェクトという名前になってる。その前は、チームWANという形で、津川さんが主導する形の勉強会。勉強会は行ってた?
ks
毎回じゃないけど、行ける時は行ってましたね。3回に1回くらいかな。
加藤
ああ、そんなもん。その頃って、慶介さんが地域に関わる意識の変化ってあったんですか?
ks
うーーん・・・
加藤
何で関わってたの?
ks
なんで・・・。たぶん、この地域だから、というよりは、震災前から一緒にワークショップとかやってたメンバーがそのままスライドした感じ。僕の感覚としては。だから、この地域のために何かやろう、というよりは、同じメンバーでそのまま、今度はこっちをやろうか、という、僕は軽いノリ。あやとか沼とか。大江くんはあんまり関わってないけど。
加藤
なるほど
ks
うん。だから僕の感覚としては、ここから始まったっていうよりは、卒業からずっとひとまとまりで来ちゃってる。僕はお金とか管理してないから、スポンサーが誰でも、やってることはあんまり変わりないなと。テーマが違うだけで。
加藤
震災前のワークショップはスポンサーは県?
ks
県。芸術銀河なんとか。
加藤
その辺の交通整理をあやさんが?
ks
そうですね、芸銀の予算をとって、3年ぐらいやって、震災があって。震災後に、支援に行っていたのも、芸銀で行っていたところに行き始めた。
加藤
ああー。
ks
うん。だから、向こうも顔見知りだから、スムーズに入れた。
加藤
なるほど。例えばどこ?
ks
塩釜のいろんな小学校、天真小、あとは石巻の方とか。
加藤
ワークショップで行ってたとこ、愛着というか、つながりがあるから、震災後の支援もそこに行こうというのは自然な流れですよね。
ks
うん。混乱なく行ける。受け入れ側も、顔見知りが来た方がいいし。
加藤
いろんな人が来てたからね。何しに来たのこの人、ってなるよりは。
ks
うん。
加藤
慶介さんの中では、一連の、震災があったけど、一緒にやってきた仲間が取り組みを続けてるから、自分も一緒にそこに入って。
ks
そうですね。このため(つながる湾)に集まったという感覚はすごい薄い。
加藤
いろんな人に話聞いたけど、大沼さんもそうだし、なんとなく始まってる。いつのまにか名前ができて。でも続いたというのは、やってることが面白かったからだと思うんですけど、
ks
うん、
加藤
別に東京から予算をもらわなくたっていい、って言うこともできたはずなんだけど、2013年のそらあみとかが、予算ついて。
ks
大きい予算があった方が動きやすいからね。
加藤
そらあみも、慶介さん的には、もう県職だから、いつも行くような感じではない
ks
ないですね、ポチポチ行ってたくらい。あと、三宅島には行きましたけど。
加藤
三宅島は誰が行った?
ks
僕とあやと沼。
加藤
ASTT側は来てない。りせいさんとか谷津さんは
ks
来てないですね。。。いたのは、三宅島大学っていうプロジェクトやってる人と、五十嵐さんと、そこでタネフネを作った大工のおっちゃんに会ってますね。名前、何て言ったかな。舞鶴の人。そこで、舞鶴の人何人かに会った。
加藤
そうですよね、三宅島は、ASTT云々よりも、五十嵐さんの空あみプロジェクトの、一環。
ks
そうそう
加藤
そらあみと、慶介さんあやさんグループ、というかつながる湾か。を、つないだのは、ASTTなんですかね。
ks
多分。りせいさんとかが、五十嵐さんいいんじゃないか、って、推したんじゃないかな。りせいさんかやつさんかはわからないけど。
加藤
タネフネが来る時点でASTTは関わってるから。
ks
うん。
加藤
一緒にやったら、ってなったのかな。その辺は谷津さんが詳しいのか。
ks
うん。多分、日比野さん周りで、けっこう顔見知りなんですよね、中島くんも、東京芸大だから、日比野さんの・・・
加藤
そうなんですか。中島さんとは、伊保石でやるというので初めて会った?
ks
そうですね。こっちに来て初めて会った。僕の友達の友達だった。で、一緒に避難所に行くようになって、前橋にも行くようになって。
加藤
じゃあ、そらあみは、大沼さんとかあやさんは、そらあみを転機として捉えてる感じがしたけど慶介さんはそうでもない
ks
僕はそうでもないですね。三宅島行ったのはよかったし、それはそらあみがきっかけではあったけど。こういう地域があるんだなと。松島湾との違いをすごく認識した。
加藤
違い。
ks
うん、外海だからというのが大きいと思うけど、波の大きさとか、うーん、なんだろうな。・・・海との共生の仕方が違う。おなじ、海の生活をしてるけど。それを、三宅島に行った時にすごく感じましたね。
加藤
ポツンと感がすごいですね。
ks
うん。初めて、海を怖いと思った。小学校とか幼稚園の時に船に乗る時に桟橋から落ちるんじゃないかとかそういうのはあったけど、それとは違う、これは死ぬな、と。スケールが違う。
加藤
うん。桟橋から落ちるって、その辺の用水路に落ちるみたいな、「落ちちゃう」ってことだけど。
ks
うんうん。もっと、海に飲み込まれる、みたいな感覚は、三宅島で初めて体験した。
加藤
はい。それが2013年。特に2013年はそのあとあやさんの「語り継ぎ」とか始まってるんだけど、その辺はあんまり
ks
一緒に寒風沢行ったりしてるけど、そんぐらい
加藤
手伝ってるぐらい。
ks
うん。
加藤
戻るけど、勉強会で、自分の転機になったようなテーマって。
ks
うーん、今見ると、あんまり出てないですね、僕。数珠釣り、白菜、菅原館長。新野さん。面白かったのは新野さんの霊場の話は面白かったですね。
加藤
その話をそれぞれ聞いて、それを元に何かやろうという感じではなかった?慶介さん的には。
ks
うん笑 ふーん、て感じでした。
加藤
勉強になるなあって
ks
うん。
加藤
それが主に2013年。そらあみもやり。慶介さん的な意識は別として、つながる湾プロジェクトとして動いているという、全体的な流れはできてきてるじゃないですか。
ks
うん。
加藤
それをどう見ていた?
ks
僕は、このプロジェクトがなくなるのが理想だっていうのをいい続けていた。
加藤
当初から?
ks
多分ずっと。一部のメンバーには全然理解してもらえなかったんだけど。ないのが理想だって言ってて。それが自然な形というか。
加藤
それは、つながる湾が始まる前に戻るのがベストだという意味ではないですよね。
ks
ではないです。このプロジェクトを運営していくのが目的じゃなくて、できたことが根付いて、前向きな意味で、なくなる、フラットな状態になるのがベストだって言い続けていて。地域に溶け込むみたいな。運営のための運営だったらやめた方がいいとずっと言ってた。
加藤
それって多分、ずっとっていうのは、僕が入るずっと前なんでしょうけど、2013年の時点では、そらあみ始まったときとかは運営委員会もまだなくて、いろんな人の話を総合すると、まあ、やりたいようにというか、やれてて、予算がついて、予算の整理を谷津さんがやってくれてた、みたいな時期なのかと思ってたんですんが。それに一応「つながる湾プロジェクト」っていう名前がついて。6、7年経ってるから、どの時どうだった、っていうのは難しいと思うんだけど、「プロジェクト」って名前がついた時点で、このプロジェクトがなくなるのが理想だと言ってた?
ks
多分、「つながる湾プロジェクト」の名前が好きじゃなくて。
加藤
最初から?
ks
うん。いつのまにか決まってたから、ああそうか、っていう感じだけど。
加藤
誰が決めた?
ks
わかんない。でも違和感があって。「そこが目的なのかな」ってのはずっとあった。
加藤
あ、疑問に思う「目的」って何?
ks
なんだろう、「つながる」のが目的なのかな、っていうのがよくわかんなくて。「つながらない人たち」を否定するみたいで嫌だったのかも。言葉の・・・アレなのかもしれないけど。ちょっと斜めに見てたところはある。
加藤
コンセプト的にはどう? 「湾の文化を学び、再発見し、」みたいな
ks
うん、それは、いいと思うんだけど。調べると面白いことあるからいいと思うんだけど。ここだけでギュってしない方が。便宜上するのはいいと思うけど、そこを強調しなくてもいいんじゃないかなっていうのはあった。
加藤
なるほど。もともとある自治体のラインを取っぱらって、っていう話の流れではあるけど、「湾」としちゃうことによってまた新たな枠がそこにできてしまうみたいな?
ks
うん・・・。いいとは思うんだけど、概念的な話で・・・。外も見つつ中も見つつ、うまくやれるといいな、というのはありましたね。もちろんこの中でやってると思うんだけど。地元至上主義みたいになるのだけは嫌だなっていう気持ちはずっとありましたね。
加藤
それって、前からそうなんですか? 学生の時に地元の良さみたいなのを見直したっていうのがあって、
ks
その反動なのかもしれませんね、もしかすると。
加藤
ああ。
ks
これが始まったからそう思い始めたのかもしれないです。これって、正しいのかな、っていう気持ちに、これでなったのかもしれないですね。つながる湾プロジェクトで。今までの考え方も含め。
加藤
閉鎖的になりかねない。
ks
そうですね。
加藤
でも、関わる以上は、おそらく慶介さんは、そうならないようにという方向性で、発言し続けてきたということ?
ks
うーん、関わりが深くなるにつれて、多分そう。最初の頃は、・・・どうだろう。最初の頃、覚えてないっすね。でも気持ちとしてはそう。
加藤
プロジェクト名に違和感があったっていうのは言葉に残して大丈夫ですよね。
ks
ふふふふ。・・・叩かれそうではあるけど。
加藤
いや、どうでしょう。慶介さん個人の気持ちとか、それに対するみんなの気持ちとか、とりあえず取り払うと、記録としては、なにかプロジェクトが動き出すとかいうときに、そういう、違和感を抱えている分子というか、も、ある。その人がどう関わって来たか、というのも、モデルとしては重要なことのような気がするんだけど。「このプロジェクト最高!」っていう人が真ん中にいたとすると、「いや、関わるけど、どうかな」っていう人もいたりすると思うので。「プロジェクト名に違和感あった」って残したくなければそれでいいんだけど。…てゆうか、今まで言ったことないんですか?
ks
言ってないんじゃないかな・・・、空気読んだ気がします笑
加藤
取り組み、みんなでやろうとしていることについては
ks
うん、やること自体は別に、否定する気持ちはなかったし、やるなら良いものにしたいと思ってた。
加藤
そらあみも、そんなに自分は行ってなかったとしても、価値は感じていた。三宅島に一緒に行ったぐらいだから。
ks
うん。価値は感じていたけど、たぶん、そらあみに対する感動度も、他の人に比べたらだいぶ低い気はします。否定するつもりもないし、良さもわかるけど、それで考え方が変わったとかは僕はないので。五十嵐さんも好きだし。三宅島に行ったことは、考え方というか、世界が広がった気がするけど。
加藤
それは、行く機会がたまたまそらあみだったというだけ。
ks
そうそう。そうです。
加藤
別の機会に行ってたとしても。
ks
うん。
加藤
網があることで増幅された部分はあるかもしれないけど。
ks
うん。そんなに参加してないからかもしれないですけどね。
加藤
じゃあ2013年とか、2014年のそらあみ2回目、松島とか。この頃までの間で、慶介さん的に一番大きかったのは三宅島行き?
ks
・・・・・(たぶんそうだと思う。)
加藤
2014年の松島のあとで、ツアーやってますよね。
ks
それ、行ってます。
加藤
ツアーは、慶介さんが能動的に関わっているという話じゃなかった?
ks
タイムカプセルやったぐらいかな。
加藤
ツアーの時に、タイムカプセルの発想が形になった?
ks
どこかで、僕、メンバーの中でアイディアワークショップをやってる。初期の頃。そのときに、誰が考えたかわからないけど、そのときに出たアイディアが元になっている。そのとき、僕がファシリテーターみたいになって、ブレーンライティングっていう、アイディアを出す手法があるんですけど、それをやった。そのときに出たアイディアが僕はずっと引っかかっていて、それを形にしたのが、多分、ツアーのこのとき。
加藤
ん? それはタイムカプセルの話?
ks
そう。
加藤
遡ると、五十嵐邸って、けいすけさんも行ってた?
ks
ちょこちょこ
加藤
3時までとか
ks
そこまでは行ってない。付き合ってない。サクッと帰る。
加藤
みんながそこで熱く闘わせあってるのはなんとなく見てた感じ?
ks
うん。
加藤
自分も熱い想いをぶつけてという感じではなかった。
ks
うん。
加藤
わりと最初から、そらあみにいたるまで、一歩引いてというか、冷静に。手伝えることは手伝ってみたいに・・・
ks
割り切っていたと思います。多分、見る側的に、自分が、観客側として興奮することはあまりなくて、自分が何か作ってて、自分が作りたいと思っているものに関するヒントがあったときには興奮するけど、一方的に持ってこられたものにあまり感動しないんだと思う。だから、他の人はどうかわからないけど、タネフネとかそらあみとかも、(良さは理解していたつもりだけど)他の人ほど感動してないと思う。…人より感動少ないって損している気がする。
加藤
ツアーは、タイムカプセル以外も、ツアーの段取りとかで、イニシアチブとったのは慶介さんではなかった?
ks
誰やったんだろう。
加藤
慶介さんはタイムカプセルを。
ks
朴島に川畑さんがいて。川畑さんは喜多さんと知り合いだった。喜多さんに連絡とってもらって、セッティングしてもらって。僕はタイムカプセルの中身のプログラムを組んでた。

<川畑さんの怪我の話>
ks
そう思うと、自分がやる側の方が好きなんですね、多分。
加藤
タイムカプセルは、案の素は前にあったとしても、それを形に持って行くということで、慶介さんがイニシアチブをとって
ks
そうですね。
加藤
旅展は・・・ 中身を形にする上で、慶介さんが結構動いた?
ks
企画として、編集・・・
加藤
企画?
ks
コンセプトとしてはつながる湾としてあるから、それをどうアウトプットするか、という、そこだけじゃないかな。
加藤
アウトプットする形として、旅展という企画を考えた?
ks
それは多分、谷津さんが考えた。展示したいとか言ったんじゃないかな。
加藤
じゃあその方向で形にする段取りを慶介さんが考えた?
ks
うーん・・・・ 多分、その、実運営をどうする、って
加藤
現場的な
ks
現場的な、ほう。
加藤
設計図的な
ks
そうですね。そっちですね。見せ方どうするとか。この名前も谷津さん作ったんじゃないかな。
加藤
「海辺の記憶をたどる旅展」
ks
うん。。。
加藤
ふーん。それで2014が終わって、2015もそらあみをやって、2015年度の末にもう一回旅展やって、という流れだと思うけど、2015年から運営委員会が始まってて、大沼さんが代表になって。その頃の記憶って?
ks
この名前決めるのにもめた。
加藤
多レ賀城
ks
うん。
加藤
結果的に
ks
これは僕が考えたやつ。
加藤
慶介さんの案。
ks
うん。最初「賀」にしようってなってて。
加藤
ひと文字?
ks
うん。賀だけ。
加藤
うーん、その名前で揉めたっていうのも、言いにくい部分もあるかもしれないけど、僕が話聞いてる2016年の、5月6月くらいに、ミーティングに初めて行った。その時は知らなかったけど、いま話を聞くと、その段階ではかなり揉めてる。運営委員会内が。
ks
うん。
加藤
で、2015年に運営委員会が始まって、15年度から?
ks
ああ、そうすると多分、その頃から、さっき言った、「無くなるのが理想」って。言ってたのはこの頃からですね。
加藤
残すための運営委員会・・・
ks
そうそうそう。それは、やめよう、って言い始めたのは、この頃からですね、そうなると。ASTTじゃなかった。
加藤
ん?
ks
ああ、「なくなるのが理想」って言い始めたのは、運営委員会の中で言い始めたのかもしれないですね。
加藤
そこは平行線な感じ?
ks
平行線です
加藤
集まるたんびにそんな話を?
ks
いや、今後どうする、っていう話になったときは言ってた。
加藤
ああ、個別のプログラムの内容とか運営の話の時はわざわざそんな話はしない。
ks
うん、来年どうする、とか、将来どうする、っていう話になったときとか、これからメンバーをどうするか、っていう話になったときに、残すためにメンバーを集める、っていうのはやめよう、って。
加藤
ちょっと逸れるけど、よく年(2016)の春にもう一人入る(加藤)、となった時、「なんで」って感じ?
ks
ではない。やりたい人がいるならウエルカムだから。
加藤
そうか。そのときちょうど、図鑑という方向性も、
ks
・・・そのとき・・・。んー、図鑑やり始めたのって、タイムカプセルに関わってて、そのときまだみおちゃんがいたんだけど、タイムカプセルにそういう生物がつくだろうみたいな話をして、事前にそれを調べとこうみたいな話をしてて、付着生物図鑑を作り始めたのがきっかけ。
加藤
そうそう。付着生物図鑑の存在は俺は後から知ったけど、おもしろい。でも僕が入る時点で、あやさんの発想として、慶介さんの「もっと図鑑を作りたい」という気持ちに、合うから、僕を引き込んだ的なところがあって。
ks
ああ。
加藤
というのは、初めて慶介さんにあったのが、美術館の何かのイベントの時。夜に。引き合わされて、「つながる湾に入るかも」みたいな話をされたんだけど、僕はすでにそのときには図鑑の話はされていた。
ks
ああ、じゃあ構想はあったんだ。
加藤
そうそう。
ks
じゃあ、ハゼのA3のペラ1作った時は加藤さんいた?
加藤
いたいた。
ks
じゃあ、図鑑、なんでやるって言ったんだろう・・・
加藤
ks
加藤
2016春の段階ではハゼって決まってなくて、テーマ決まってなくて、何かの図鑑を作っていきたいって多分慶介さんが言ってて、一緒にやれる人ということであやさんが引き合わせてくれたような。僕はそう受け止めていた。
ks
そうかもしれない。
加藤
話それたけど、2015くらいの揉めてる時期に戻りたいんですけど、このときに揉めてた理由が、聞くとそれぞれ話が違っていて。あやさんは、多分ご存知の通り。
ks
はいはい
加藤
大沼さんは、そこよりも、今後の活動として、プログラムというか、体験型のプログラムをいっぱいやるのか、それとも資料的なものを残していくのか。
ks
そこ揉めてんのかな。僕の中では揉めてない気がするけど。揉めていたとしても僕はそこはあんまり問題じゃなかった。
加藤
ごめんなさい、揉めたまでは言ってないかもしれないけど、方向性にズレが見えたっていうのが、大沼さんの言葉では、篠塚は形にして残すほうをやりたがっていた、みたいな。
ks
やりたがっていたというか、多分ぼくが言ってたのは、僕ができるのがそこだったから、っていうだけで。つながる湾プロジェクトの方向性とかじゃなくて。そのとき僕が言っていたのは、無くなるのが理想、ということと、僕自身が、つながる湾プロジェクトから生まれた一人だと捉えたときに、その人(僕)がこの土地で、こういう図鑑とか何かを残して行くことってすごい重要だよね、っていうことは言ってた。そういう人が生まれるって、つながる湾プロジェクトのすごい成果じゃないですか。って言ってた。自意識過剰な言い方かもしれないけど。
加藤
なるほど
ks
だから沼にそれが頭に残っていて、そっちをやりたがってる、残したがってるみたいな印象があるんじゃないかな。でもそれは僕の方向性であって、
加藤
役割として。
ks
そう。役割としての方向性で、その「つながる湾プロジェクト」の名前の話につながるんだけど、ソフト的に人の輪を広げる方にあんまり僕は興味ないから、だから僕はこういうのをやりたいし、僕自身も刺激をもらって、こういうことをやり始めた一人だから、そこは僕の考えを尊重してほしい、と。そうは言ってないけど、そういう立場だった。
体験プログラムを否定していないし、つながる湾で図鑑だけをやりましょうってことでもない。体験型とか記録型のどっちをやりましょうって話じゃなくて、それぞれが、やりたいことをやればいいと。その「やりたい」って気持ちの集合体がつながる湾じゃないかって。そういうことを言ってたんだけど、一部のメンバーには全然理解してもらえなくて、なぜか「記録じゃダメだ」って話に戻されて、議論の焦点が合わなかった。
加藤
なるほど。
ks
そこを否定されても、僕は変わらないし変わるつもりないから、それはそれでOKとしましょうよ、って言ってて。それが「つながる湾」の成果の一つになるよね、って言ってて。つながる湾プロジェクトがどっちに行くかというのは、つまりソフトよりにいくのかハード寄りに行くのかというのは、
加藤
っていう話をしてたわけではない
ks
うんうん、わけではない。方向性どっちに行くかの話でいうと、たぶん、あやと同じで、枠を決めてやるなら、やんないほうがいい。編集の枠があって、そこにハマるようなプロジェクトを作るなら、やらないほうがいい。という話をしてて、アイデアを出す前から編集枠があって、そこに収めていくやり方をする人には理解してもらえなかったんじゃないかな。
加藤
編集枠・・・? それは抽象的な意味での?
ks
そうですね。抽象的な話をすると、初めに額縁を用意して、そこにハマるような絵を描くみたいなやりかた。僕がやりたかったのは、なんでもいいから、四角じゃなくてもいいから、とりあえず絵を描いて、できたものにハマる額を用意すればいいじゃない、それが本当の意味での編集じゃないの、っていうスタンス。たぶんそこで噛み合わなかった。で、僕はこういうことをやりたいって言ったときに、用意した枠からハミ出るものがあると、そこは一方的に勝手に切られる。そういう感覚がすごくあって、それがきっかけでやめた。
加藤
具体的に何か覚えてますか?
ks
具体的には覚えてないし、そういう話も打ち合わせでは言ってなくて。みんなに遠慮していたわけじゃなくて、枠を決められちゃうなら、その中で最大限良いものを作れるようにアイデアを考えたいと思っていた。
それと僕が前にメンバーに言い続けたのは、それぞれがやりたいことをやってくださいって言ってて。それを他人のせいとか地域のせいにしないで、もっと個人が、自分のわがままでやりたいことをやってください、って。要は、この地域のためにこういうことをする、っていう言い方をしないで、私が、この場所で、こういうことをやりたい、それを原動力に、もっとしませんか、って。つながる湾メンバーの、ここで、そういうことしませんか、っていう話をしてて。
加藤
うん
ks
まあ概念の話だから、哲学が違えば噛み合わないのは当然なんですけど。地域のためにとかじゃなくて、もっと、ここに住んでる人たちが単純に面白いと感じて、それをやることが結果地域のためになればいい、っていうだけでよくて。地域のためになるからここでやる、っていうのより、個人からもっと引き出していったほうがいいんじゃないかっていうのはずっと言ってた。この、もめた時期から。で、何回か僕主導でアイディアワークショップやってて、それも、そういう意識があってやってた。外から持ってくるだけじゃなくて、自分たちが積み重ねるものを作るために、そういうのをちゃんとやって、将来のためにそのアイディアを残しておきましょう。っていう話をしてて。
たぶん、これ(多賀城の旅展のタイトル)でもめたのも、「賀」がイヤだっていうのは僕がずっと一人で言い続けて。「賀」のアイデア出したのは沼なんですけど。で、それに賛成する人も多かった。「賀」ってお祝いするってことじゃないですか。多賀城を祝福するみたいな、今までお世話になった多賀城の人たちに感謝の気持ちを示すみたいなことで「賀」にしようみたいなことを沼は言ってたんだけど。僕は、そのコンセプトを否定したんじゃなくて、コンセプトはとても良いから、「賀」のコンセプトが伝わる言葉を考えようよってずっと言い続けてた。で、嫌な人も多かったと思うけど僕の旗振りでアイデア出しをして、結局、漢文の読み方を取り入れた「多レ賀城」になったんですけど。なんかこう、「これだ」って決め打ちしないで、次のフェーズに自分は行きたいから、さっきの枠の話じゃないけど、枠で「はい、できたね、終了」じゃなくて、もっと始まりはそこでいいけど、その先に行こうよって話をしたときに、反対されることがこの頃から多くなって、そこに違和感を感じるようになって、やめた。
加藤
個人のイメージとしては、なんとなく、わけわかんなくてハマってった時のイメージとしては、運営委員会のミッションとして予算を綺麗に、ちゃんとASTT側からとれるような、形にしなきゃいけないみたいな。それが委員会でやろうとしていることで、難しいんだろうなって思いながら見てたんですけど。
ks
それもわかってたんだけど、それが最初に用意されちゃってるから、なにかアイディアを言ったときに、そこを武器にされて切られるから、それが、「それぞれがやりたいことをやりましょうよ」っていう発言につながるんですけど。その、枠を作って入らないのを切るのがその人のやりたいことならいいんだけど、言葉としては、「湾の面白さを引き出す」みたいに言ってるじゃないですか。それと、枠を作って切ることって、僕の中では繋がんなくて。
加藤
正直ね。あやさんも同じこと言ってて、なんとなくはわかるんだけど、ちゃんとはわかんなくて。俺は。はめようとしていた枠って、具体的に何なのかわからないんですよ。
ks
要は、誰かが「篠塚のアイデアは面白くないからこれはやらない」っていうんならわかるんです。そう思うんだ、って理解できるし、反発も苛立ちもしない。「それならもっと面白いアイデア考えてやろう」って思うんだけど、ASTTの枠がこれだから、この枠にはまらないから、これは良くない、って言われるから理解できないし、そもそもそんなんじゃつまんないことしか生まれない。
加藤
その枠ってなんなんですか。
ks
それが、予算の枠だったり、助成金としての、明文化された、あるじゃないですか、
加藤
うん、対象はこれですって
ks
うん。とか、こういう意義でやってくださいとか。委員会の中で僕のアイデアが反対されるときそれを武器にされるから、違うんじゃないかなと。反対している人は助成金の枠にはめることをしたいのか、本当にこの地域の面白さを引き出すためにしたいのか。それともその人がそういうアプローチしかできないのか。そこが、よく分かんなかった。口では「地域の面白さを引き出す」って言ってるのに、「面白いor面白くない」で判断しないで、「枠」だけで判断するんだなーって。
東京から来るASTTの人たちから話を聞くと、もっと自由な枠を用意してくれてるのに、なぜかその枠が委員会の中に入ってくると、「不自由な枠」に編集されちゃってる。「あれ?いつの間にそんな枠になってるの?ASTTの人たちはそんなこと言ってなくない?」ってずっと疑問だった。
で、その枠を外したいから、僕はアイディアワークショップをしたり、コンセプトが出てきたときに最初の一歩をそのまま良しとするんじゃなくて、次のステップに行きましょうよって話をしたり。カトウさん入ってからもありましたけど、考え方を絵に書いて、こういうアプローチあるんじゃないですか、っていろいろ説明してたのもそれで。
加藤
うん。
ks
助成金のためのプロジェクトならやめようって。
加藤
結局そこなんですよね。その枠どおりしかできないんだったら、このプロジェクトでやってる意味はないんじゃないのか、っていうところが。
ks
そう、そうですね。
加藤
まあでも・・・、わかりました。ちゃんとじゃないかもしれないけど。で、2015年くらいからちょっともめていて、その頃から慶介さんはおそらく、もうこのプロジェクトはいいかなって。
ks
思ってました笑
加藤
ただ2016年春に僕が入って、じゃあハゼ図鑑一緒にやりましょうかっていう話になって、そこでさすがに「やめた」ってならないじゃないですか。
ks
いつやめたんでしたっけ
加藤
2017? ハゼができたとき(2016年度末)はまだいましたよね
ks
いました。
加藤
2017年度からいないのかな?
ks
うん、そんな気はしますね。
加藤
じゃあ、抜けるってなったのは、もう本当に抜けると決心するときに何かありました?
ks
特にないですね。いてもいなくてもやりたいことできるな、っていう感覚。図鑑はやりたいけど中にいなくてもできるし。そんぐらいの軽い感覚です。その、これだけ言っても変わらないならいいかと。
加藤
図鑑作るようになったっていうのは、さっき慶介さんが自分で言ってたのは、つながる湾から生まれたという意識はある。
ks
そう、それはありますね。入ってなかったら、やってないから。それはすごいよかったと思いますね。多分、自分で作るのがないと、さっきのタネフネとかそらあみであまり感動してないっていうのは、
加藤
それは参加者だから
ks
うん、自分ごとにそんなにならないんだとおもいます。自分の性格的に。
加藤
タイムカプセルをやったことによって、付着生物ちょっと調べて形にしてみようかということになって、もっと何か、ちゃんとした冊子になるものを作りたいと思った。
ks
そう、ですね。
加藤
で、それである程度それに道筋がついたし・・・って、俺があんまり喋るのもあれなんですが。
ks
図鑑つくってて、感じるのは、自分がどこまで成長できるかみたいなことのほうに興味があるのかもしれないですね。絵が上手くなるとか、新しい知識が入るとか。カトウさんと組んで新しいものを作れたとか。そっちに興味の軸足があって。
加藤
そこは一貫してるわけですよね、慶介さんの中で。
ks
うん。
加藤
それで思い出したんですが、つながる湾で出してるいろんな、改新とか、いろんなものを作るときに、けっこう慶介さんが作った部分が大きい、って、大沼さんが言ってたんだけど、つながる湾が発行する物の、デザイン的な部分を担ったのは篠塚だ、っていう言い方をしてたんだけど、そういうのは楽しく作っていた?
ks
そうですね、やってて、楽しかったすけど。
加藤
改新と、その前のやつ、基本的にデザイン・レイアウトは慶介さんがやってる。
ks
そうですね、全部やってますね。
加藤
その辺を担ってきた自負はある
ks
そうですね。
加藤
俺はその辺が全然わからなかったから、うみねこ通信作り始めるときに、商売でデザインやってる人って藤崎さんしかいなかったから、そしてそのデザインに何も不満はないんですけど、こちらの希望を聞いてくれるし。ただ、テイストとしては、多分それまでと違う。
ks
そうですね。
加藤
だから、そこを変えちゃったのが、もしかしたら、俺はなんの気なしに変えたけど、どうだったのかなと。
ks
いや、そこはそんなに・・・ できる人がやればいいって言ったらあれだけど。それぞれの人がそれぞれの特徴だせばいいってのが僕の考え。藤崎さんが適当にデザインしてたらムカついていたけど、そうじゃないってのを知っていたから。もちろん仕事でブランド作るときがっちりVI計画決めちゃうことが多いし、勝手にデザインいじってたら指摘する。でもつながる湾ではそのやり方は違うなって思ってた。
それと、もうその頃は、僕的には自分で作っていく、のが楽しい。いつでしたっけ
加藤
ハゼ図鑑ができたよ、っていうのがうみねこの1号に載った、みたいなタイミングだと思う。
ks
うんうん、だから興味が図鑑の方に移っちゃってたから、別にいいかなーっていうかんじ、正直。
加藤
そうですか。
ks
ノックのときは口出したけど。
加藤
ハゼと一緒ですよね。
ks
その時も、何を言っても変わらないから、それも、辞めるきっかけの一つだったかもしれないですね。
加藤
ああ、
ks
これ、海のハンコ、作ったの僕で、これとイラストを混ぜないでって言ったんだけど。
加藤
あああー。
ks
うん、言ってたんですよ。イラストとテイスト全然違うし。
加藤
別の漫画家さんか何かのキャラクター 
ks
そうそう。それをやりたいんならこっち(海のハンコ)外して、って。何回か言ってた。お互いに殺しあうから、って。せっかくいいイラストレータきてくれたんだから、そっちの良さを伸ばすようにしたら、って。で、タイトルについても結構言った。
加藤
うんうん。
ks
で、そん時も、「多レ賀城」、と同じような感じだった。
加藤
ノックの話?
ks
そう。最初は、「地域を変える10のこと」っていう、最終的にサブタイトルになったやつがメインタイトルだった。で、そういうコンセプトでやりたいのはわかったから、それをもっとよく表現できる何かを探そうと。言ってた。さっきの多レ賀城の話と同じで。コンセプトはわかったから、もっといいやつを考えましょう、という話に持って行きたかったんだけど、その話をすると、なんか、ただわがまま言ってるみたいな感じになっちゃうから、けど、ずっと言ってて、みんなでアイディアを出していこうと。ああいう、ひとりひとりが自分の頭で考えるプロセスみたいなのがすごい大事だと思っていて。それは最初のアイディアをダメっていうためじゃなくて、いろいろ考えた上でやっぱりこれがいいよね、ってなったら、それはそれですごいいいことだと思うんですよ。じゃなくて他の可能性を探求しないで、これ最高、ってなる方がおかしいじゃないですか。で、「地域を変える10のこと」にしっくりきてない人が僕以外にも何人かいたわけだから、だったらもっといいアイディアをみんなで練ろうよ、っていう話をしてたつもりなんですけど。でもまあ最終的にノックになって、みんなはどう思ってるかわからないけど、僕はいいタイトルになったと思ってるんですね。
加藤
うん。
ks
だから、そういう、次のステップにいける話が自然とできてたら、多分ぼくは残ってた気はしますね。僕からの押し付けじゃなく…。話変わっちゃうけど。さっきのグラフィックの話に戻ると、自分がやらなかった表現、いままでやってこなかった表現を入れるようにしていて
加藤
ああ、そうなんですか。紙ものを作るたびに
ks
そう、たびに。いろいろ試して。
加藤
写真は?
ks
これはシェラですね、フィルムで撮ったやつ。写真はいろんな人のをかき集める感じですね。海底タイムカプセルのときは仕事でいつもお願いしているスチールのカメラマン(Photo516)と水中カメラマンにも撮ってもらって、すごくいい画がとれた。その後僕は辞めちゃったから、ほとんどその画は表に出てないけど…。
加藤
大沼さんとかあやさんの話を聞くと、辞める前、もめる前? 運営委員会になる前かな? 慶介さんが、中心的な、慶介さんだけじゃないけど、物事を回す上で核的な役割を果たしていたという印象を持っているような印象を僕は受けたんですけど
ks
多分、アウトプットしていく中で、多分そういう役割を担わざるを得ない形に
加藤
結果的に?
ks
うん、結果的に。
加藤
旅展を講堂でやったり、冊子を作ったり、何かを形にするときに、
ks
多分、そういうことの方がすきだから、ということだと思う。
加藤
じゃあぶっちゃけ、気持ち的には、つながる湾で頑張るぞ的な方向性というよりは
ks
加藤
ひとつひとつを作る上で、面白いからやる、みたいな。
ks
そっちですね。うん。まあ、テーマとしては面白いから。
加藤
うん、根底のテーマね
ks
うん。だから、デザインのしがいがある、そういうのはある。だからいろんなの、反対したのかも。反対っていうか、もっといいもの作ろう、ってタイトルとか、グラフィックの使い方とか。体裁整えて、外面よくするためにデザインを使うんじゃなくて、もっと僕たちが考えていることを伝えるためのアイデアを考えたり、そのためにデザインを使いましょうって、そういうのを言い続けたのかもしれないですね。で、加藤さんと図鑑やるようになって、そっちは自分のやりたいようにやれる、パワーを集中できるから、そこで欲求不満が解消される笑
加藤
笑 で、抜けてから、ある意味、外から見てる。図鑑は一緒に作ってるけど。で、今回こうやってインタビューしてるのも、おそらく2020年度が一区切りになるだろうという前提のもとにやってるわけだけど。抜けた後の動きについてどう見てるか。
ks
あやは頑張ってるな、という感じ。たぶんあやがいなかったら全く回ってないし、そもそもプロジェクトが立ち直っていないよな、これ、という感じ。プロジェクトをまとめて、進めていく力はすごいと思う、正直。僕にはできない。中身はわかんないからなんとも言えないけど。
加藤
逆にあと1年あると考えると、そこに望むことというか、まあ慶介さんが「望む」のが立ち位置として正しいかどうかはわかんないですけど、なんか「こうあったらいいんじゃないか」ってありますか。2020年度で終わっていくと考えて。終わり方というか
ks
終わり方・・・。予算なくてもできるものが一つでも残ればいいなと。モチベーションとして。
加藤
モチベーションとして? ノウハウではなくて?
ks
ノウハウじゃなくてモチベーション。現実に、お金ないとできないじゃないですか。そのお金をどこかから持ってくる手間を惜しんでもやれるモチベーション。
加藤
手間を惜しむ?
ks
今、東京都がスポンサーじゃないですか。なってくれてるから、寝ててもお金は入ってくる状態。だから今やれてるものって結構ある。お金ついてるから、この地域に興味関心ありますって言えてる可能性もあって、それがなくなっても言い続けられる何かがちゃんと残ればいいなと思いますけど。
加藤
残るって、誰に?
ks
それは、自分も含めて。
加藤
メンバー?
ks
メンバー。で、多分それが、つながる湾プロジェクトが終わることじゃなくて役割を達成することのような気がする。
加藤
あくまでそれは地域に対しての役割というよりは、関わった人に何を残すかということ? 運営メンバーなのかそれ以外も含めてなのか。僕が入る前は結構出入りもあって、区切るのが難しいと思うけど。
ks
うーん、
加藤
慶介さん的には、2つの意味で、何か残ったり変わったりしたかということ。一つは、考え方とか、ソフト的な。もう一つは、利益とまで行かないけど、自分にとってメリットというか、つながる湾をやったことで、
ks
メリットとしては、多分、幅広い意味でのデザインのスキルは上がった。自分は自己成長みたいな方に興味があるから、そっちのメリットは大きい。
加藤
グラフィックだけについても、いろんな表現ができる
ks
うん・・・・。それが、逆説的に、って言っていいのかわからないけど、地域のためになるというか、…「地域のために」ってやることは否定はしないけど、僕のアプローチとしては、個人個人が頑張れば結果地域が良くなるっていう考え方で、地域のために何かをして結果良くなるんじゃなくて。で、今回のつながる湾プロジェクトに参加して、他人のために何ができたかはわからないけど、自分自身は成長できたし、それが結果として将来、自意識過剰すぎるかもしれないけど、この地域にとってもいい結果になるだろう、という考え方。個人個人が変わっていく必要がある。
加藤
それは、活動を通してそういう考えは強くなった?明確に?
ks
多分、…この活動を通してなのかはわからないけど、この活動が影響しているのは確実。
加藤
今のは、さっきの質問の、ソフト的な、考え方の部分ですよね。
ks
うん。
加藤
メリットとしては、いろんな表現ができるように、幅が広がったっていうのは、狭い意味では、「改新」ひとつ作るにしても、いろんな表現を試してみて、いろんなデザインを試して、いろんな表現を試して、幅が広がった。広い意味では、グラフィックだけじゃなくて、旅展とかツアーとかを形にするとかを含めて表現の幅が広がったという意味もある?
ks
それは難しいですね。明確にこれから影響をうけました、というのは。自分が成長したと思える実感は欲しいから…。
難しいですね、テーマとしては面白いし。
加藤
あの、地域がどうのとかは別によくてね。今回の、谷津さんのイメージと合ってるかはわからないけど、何人かにインタビューしてて、「どうだった?」っていうこと。どのレベルでもいいんですよ。何年かやって、大雑把に、「自分がこうなった気がするな、こう変わった気がするな」っという答えでももちろんいいし、それよりもずっと細かい部分で、「あの時にあの人とこんな話をしたら考えがこう変わった」とか、逆に、変わんなくてもいい。自分の考え方がこうだということが明確になった、とか。とにかく、全体像とか一般論が欲しいんじゃなくて、慶介さん自身の経験として、プラスなりマイナスなり
ks
マイナスはそんなにないかもしれない。図鑑は作ってよかったなと思うし、いままでのやってきたことがないと、作れなかったと思うし。
加藤
ん?それは制作の技術、ノウハウのこと?
ks
いや、知識。経験として
加藤
いろんなところに行ったり調べたり、勉強したりっていうこと?
ks
うんそうですね。
加藤
じゃあ、そのベースは
ks
ここにあると思いますね。
ks
うーん、僕は多分、アウトプットありきなんでしょうね。作るのがあった方が、多分楽しい。テーマはなんでもいいって言ったらあれだけど、自分が興味を持った分野があれば、この地域じゃなくてもいいし。
こんかいこの地域っていうのがひとつテーマになったから、それで自分がどこまでどんなものを作れるかの方に興味があって、この地域を良くしようとか興味なくて。結果地域が良くなればハッピーだしそれはそれでいいことだけど、自分のモチベーションとしては、図鑑とかを誰かと作っていくみたいな、そっちのほうにモチベーションがある。で、そうやってできたものがきっと地域のためになるはずだ、というところには確信がある。それはデザインと一緒で。世界を変えるためにデザインやってる、とかじゃなくて、もっといいものを作る、ということに軸足があって、それが結果、世界を変えていく、という、のは信じていて。
加藤
ここから先は、今回のインタビュー的には突っ込まない方がいいところなんですが個人的な興味で。